10代20代までは、”いつか”と思ったら”いつか”が来る。でも、30代からは”いつか”は自分で迎えに行かないと来ない。
なぜなら圧倒的に行動しなくなって、自分が居心地が良い人たちとだけ一緒に居続けて、人との偶然の出会いが極端になくなるから。
“いつか”を迎えにいきたいなら「恐怖を迎えにいく」「自分が怖いと思うことを迎えにいく」ことをしないとやってこない。
続きを読む10代20代までは、”いつか”と思ったら”いつか”が来る。でも、30代からは”いつか”は自分で迎えに行かないと来ない。
なぜなら圧倒的に行動しなくなって、自分が居心地が良い人たちとだけ一緒に居続けて、人との偶然の出会いが極端になくなるから。
“いつか”を迎えにいきたいなら「恐怖を迎えにいく」「自分が怖いと思うことを迎えにいく」ことをしないとやってこない。
続きを読む私は昔から肌が綺麗だと言われてきた方だが、ここ数年さらに肌ツヤを褒められる頻度が増えた気がする。どんな肌ケアをしているのか聞かれることが少なくなく、都度説明しなくていいようにブログに全て書いておこうと思い筆を取っている。
私は、中学生の時に美容ケアに目覚め、それ以来様々な試行錯誤をしてきた。美容エステで毛穴ケアやダーマペンなどもやった経験がある。義母が皮膚科に勤めていて、そこからも日々情報を得てアップデートしている。そんな私が最近は特別お金をかけずに日常的なケアのみで結果が出ている方法をシェアして、同世代の男子の少しでも役に立てばと思っている。もちろんこれは、医者でも何でもないただの素人のN=1のサンプルなので、そのつもりで読んで欲しい。
続きを読む2024年の仕事納めをしたのですっかり毎年恒例となった一年の振り返りブログを書いていこう。今私は近所のコメダ珈琲のいつもの窓際のカウンター席でこのブログを書いている。つい先日までは、顔を上げて窓の外を見ると気持ち良い秋晴れで清々しい気分になれたのだが、12月後半ともなるとどんよりとした寒空でクリスマスを超えてすっかり正月気分になってしまう。窓越しに見える走る車を一台一台見ると、家族やカップルでこれからどこかに出かけるのだろうか。ランニング中の高校野球男児は来年の春大会に向けて冬のトレーニングだろうか。珍しくそんな色んな思いに馳せる余裕を持ちながら、今年を振り返り来年への意気込みを書いていこうと思う。少しお腹空いた。
続きを読む最近会社の同僚とお金の話をすることがあり、毎月赤字で困っているとのことだったので、浪費癖があった私がどのようにして資産形成をしていけているかを話したことがあった。折角なのでより詳細に振り返りながら、ブログに残そうと思う。たかが一般人の私の資産くらい公開したところで何も問題ないので、赤裸々に公開する。
4年前の2020年1月9日(当時24歳)、私の銀行口座の残高は 1,259円 だった。
事業をやるための資金も底をつき2019年12月から会社員になった。身の丈以上の高価な物をいくつもクレジットカードの分割支払いで購入してしまう浪費癖のせいで、積み上がった返済だけで毎月10万以上。そして見栄を張って住んだ家の家賃は16万円。12月の給料約54万円が1月に振り込まれるが、返済と生活費で赤字。しょうがないのでカードローンで借金をして食い繋ぐ日々。そして、3月にカードローンが限界の50万円に達し、いよいよ首が回らなくなった。私の物語はここから始まる。
そんな経済的に失敗だからけの私だったが、一番お金がなかった1月に現在の妻と交際を始めた。知り合って1ヶ月足らずで交際スタート。愛嬌があって可愛らしく、価値観が合った。すぐに私はこの子と結婚するのだろうと思うようになり、お金との向き合い方を改めようと決心した。
彼女とのデートでは私がご馳走するが、私一人の生活では無駄な支出をしなくなった。なぜなら、彼女という存在が私の心を癒し満たしてくれるので、過剰に消費活動をして承認欲求を満たそうとしたり寂しさを紛らわす必要がなくなったからだ。当時はわかっていたわけではないが、振り返ると今ではそういうことだったと思っている。
交際から3ヶ月後に婚約した。貯金ゼロで借金の返済で首が回っていない状況であることは伝えたのは、やや記憶が曖昧だが婚約した後すぐのことだったと思う。正直に全てを話したが、彼女は私を捨てなかった。
まず借金を返済するために月の収支をプラスにする必要があったが、家賃や返済は固定費としてどうしようもないので、変動費から無駄を削った。食費は、外食とUber Eatsをやめた。Amazonでの衝動買いもやめた。幸い会社員の収入は少なくなかったので、十分な生活をしつつ黒字に出来た。
余ったお金を全額カードローンの返済に充てて、3月から6月の3ヶ月で50万円のカードローンを完済した。
クレジットカードの分割払いは、前倒しにできる分は前倒しにし、出来ないものはコツコツと返済し、カードローン完済後の1年3ヶ月後(2021年9月頃)に全ての分割払いを完済した。
借金を返すために収支を見直す中で、食費や衣類などの変動費は今日明日ですぐに支出をコントロールできるが、そういった変動費をいくら下げても、固定費が支出を底上げしているのが凄くもどかしかった。
借金の返済額は少しずつ完済していけば減ってくれるが、家賃はどうやっても固定でかかってしまう。当時広めのワンルームだったが、同棲生活をする中でやはり壁を隔てて独り時間が欲しい時はあるので、固定費を下げることと広い部屋を求めて、引っ越すことにした。
都内一等地のワンルーム高級マンションから、都内住宅地の1LDKマンションへ。家賃は16万から13万へ。(その2年後の引越しでは岐阜市の2LDKの物件で家賃8万に減った)
引越し費用の予算を50万円として、家賃の差額を考慮すると、2年間で22万円の黒字を見込めて、広い部屋が手に入った。
毎月の家賃も13万円で3万円の余裕が生まれた。そして副業の収入もあり貯金残高が40万円、80万円、100万円と増えていく。
収支がマイナスからプラスへ転じて、雪だるまの芯ができ始めたが、これからさらに資産を増やしていくために投資の勉強をしようと思って投資系の本をたくさん買って読み漁った。その中で、2つの良書と出会った。
この2冊から得た教えは今でも私の核になっているので、紹介したい。正直なところ、この2冊を紹介するために本記事を書いている。
- 収入の十分の一を貯金せよ
- 欲望に優先順位をつけよ
- 貯えた金に働かせよ
- 危険や天敵から金を堅守せよ
- より良きところに住め
- 今日から未来の生活に備えよ
- 自分こそを最大の資本とせよ
- 家族と自分の将来のために、収入の十分の一以上を蓄える者の元には、黄金は自らを膨らませながら、喜んでやってくるだろう。
- 黄金に稼げる勤め先を見つけてやり、持ち主が群れを膨大を増やす羊飼いのように賢明ならば、黄金は懸命に働くことだろう。
- 黄金の扱いに秀でた者の助言に熱心に耳を傾ける持ち主からは、黄金が離れることはないだろう。
- 自分が理解していない商い、或いは、黄金の防衛に秀でた者が否定する商いに投資してしまう持ち主からは黄金は離れていくだろう。
- 非現実的な利益を出そうとしたり、謀略家の甘い誘惑の言葉にのったり、己の未熟な経験を盲信したりする者からは、黄金は逃げることになるだろう。
「お金持ち」=豪邸に暮らし、高級車を所有。海外旅行に行っては、ビーチで寝そべり、ゴルフ三昧。ではない。トマス・J・スタンリーの著書『The Millionaire Mind』のよれば、アメリカの総資産100万ドル以上の富裕層に大規模調査をかけた結果、実際のお金持ちは、フェラーリの保有率はとても少なく、靴や家具を修理して使い、中古物件に住み、家族との時間を大切にする。という結果が得られたそう。(お金持ち=富裕層=総資産100万ドル以上)
固定費が減り、無駄遣いをやめたら口座にすぐに死なない程度の貯金が出来た。生活レベルは足りていたが、少しの余力を感じると再び生活レベルを上げたり衝動買いしかねないと思ったので、2冊に書かれた通り天引き貯金をやることにした。天引き貯金なら、天引きしたお金は無いものとして支出を考えることができるので、無駄遣いを避けることができる。
会社に401kの制度があったので、入社時から401kに月5.5万円を拠出していたが、1年間やってみて30%増えたことを経験した。そこで、天引き先として2020年12月から旧積立NISAを満額やることにした。
余談だが、2024年6月現在、それぞれのパフォーマンスは以下の通り。
約4年で300万円もお金が生み出してくれたことになる。毎月8.8万円を無心で積み立てて放置した結果、この二つの評価額を足すだけで700万円越えだ。ほぼタイトル回収だ。
おそらく今多くの人が含み益を抱えていて、私は運が良く上昇相場に乗れただけだと思っている。
一時期、妻が体調を崩し仕事を辞めた時期があった。その時は、私の収入だけだと生活は回るが雪だるまの芯が思うように大きくならなかったので、稼ぎ重視で短期で副業をやることにした。月20万円から40万円程度の副業収入が数ヶ月間あり、妻の穴を埋めるに十分だった。
本多静六の教えの通り、副業を臨時収入と捉え、全額貯蓄した。支出は変わらず、収入が1.5倍以上になったので、ものすごいスピードで貯金が増えた。毎月マネーフォワードの資産グラフを見るのが楽しい時期だった。
妻と遊びに行く時間で副業に充てたのであまり遊びにいくことができなかったが、カフェで仕事しながらデートしたり、工夫して二人の時間を楽しむことはできた。
片方が辛い時はもう片方が補う。そうやってお互いに支え合いながら生きていくことはこういうことか、と思ったりした。
『私の財産告白』で書かれていたような、本業の足しになり勉強になるような副業ではなかったが、雪だるまの芯を大きくするために意図的に収入を増やす選択肢をとり、狙い通りの結果となったのでよかった。
稼ぎのための副業は、時間の切り売りであると実感したので、金銭に困窮していない限りは、次にやる時は本業の幅を広げるような副業をやろうと思う。
テキストだけだとイメージしにくいと思うので、過去5年間の資産負債グラフとライフイベントを重ねてみる。他人の資産をこのようにして見るとかなりリアリティが出てくる。


赤字で借金がある状態から、黒字化し資産1000万円まで増やした4年間は、私自身にとってお金で初めての成功体験となった。この経験から得られた教訓を振り返ってみる。
浪費は競争意識からくる承認欲求を満たそうとする行為であり、どんなに金銭を投じてもそれでは一生心を満たせない。本質的に大事なモノは人との深い繋がりの中にある。
成功したい気持ちが強い人は、他人からよく見られたい認められたいという気持ちが強くなる可能性がある。それは、ブランド品などの金額にしか価値を感じない表面的な消費行動を引き起こす。しかし、それでは承認欲求は満たされず、いつかは身を滅ぼす危険性がある。
これを脱するためには、名誉や名声では変えられない本質的で根源的なモノに気が付く必要がある。それは、一人の人生の中にはなく、人との深い繋がりの中に見出すことができる。
天引き貯金から初めて"貯金の門"をくぐろう
貯金できないという人は、まず月収の10分の1を天引き貯金から始めよう。今なら天引きして積み立てNISAに無心で投げ続けるのがいいかもしれない。10分の1が余裕になれば、割合を徐々に増やそう。
1年間もすれば月収以上の貯金と貯金できたという成功体験が手に入る。まずは小さく成功を積むことが重要。これによって支出をコントロールする術が身に付く。
支出をコントロールして雪だるまの芯ができたら、副業をして収入を増やして雪だるまの初速を上げる。
そうして、まとまったお金ができたら、焦らず堅実な投資をする。
これが庶民がゼロからお金を作る基本形だ。
易々と生活レベルを上げない
人間の欲求には果てがない。合理的な理由がなく、憧れや欲求に突き動かされて、生活レベルを上げるのは自分の首を苦しめるだけだ。
どこで満足できるか。早くに満足できれば、手元に残るお金は多い。収入が増えても満足できなければ、手元に残るお金はわずかだろう。
これまで積立NISAよりも401kの拠出額が多かったせいで、資産に対して流動性が低い年金が占める割合が高くなっていることは、リスクが高いと思っているので、流動性を意識して資産の割合を調整しようと思う。
1000万に達した半分の期間で目指せ2000万!
5月13日(月)から5月24日(金)までの2週間でリフレッシュ休暇を取得した。前半1週間で車で一人旅してみたのでその旅のことと振り返りを書いてみる。
元々はこの休暇の計画をまともに事前に立てておらず、ともすれば2週間自宅にいるかもしれなかったが、妻が「外に行って欲しい」と言ってきたので、車でギリギリ行けそうな距離で行ってみたかった島根県に行くことにした。今年から神社の御朱印集めをやり始めたこともあって島根の出雲大社に行ってみたくて、一人旅なので神社巡りをテーマに旅をしてみることにした。Google Mapを開いて、「神社」で検索をして気になる神社にピンを押し、旅程を立てた。実際は次のように行動した。
車の総走行距離は1217kmだった。一人行動としてはかなり走ったんじゃなかろうか笑。道中、車についているACC(アダプティブ・クルーズ・コントロール)機能のおかげで、アクセル操作などをほとんど気にすることなく、COTEN RADIOを聴きながら割と楽しく移動できていたので、この移動距離はそれほど大変ではなかった。むしろこれだけ長時間長距離を運転して苦ではなないということは、車の運転は好きな方なのかもしれない。(「ACC使っておいて何言ってんねん」という批判がありそうだが笑)
ところで唐突だが、「一人旅」と聞くと一般的には「自由で楽しそう」と連想する人がほとんどだろう。しかし、正直私はそうとは言い切れない結果となった。五日間も一人旅をしたが、楽しかったかと聞かれると「そうでもなかった」という答えになりそう(しかし、思い出にはなった)。正直そんな会話をリアルですると場が冷めてしまいそうだが、もしそう言われたら理由が知りたいだろう。私もその理由を言語化してみたい。なので、ここからは「一人旅がそんなに楽しくなかった理由」を考察してみたいと思う。
一人旅の中での主要な行為を列挙し、「楽しかったこと」「楽しくなかったこと」で分類してみる。
まず、「楽しかったこと」から、「楽しい」という感情に至った理由を考えてみる。(以下私個人の価値観です)
つまり、「ある行為」から「楽しい」に至るためには、以下の2つの条件のうちどちらかを満たす必要があると仮定できる。
このように整理すると、たとえ「自己満足型」に該当しなくても、「感情共有型」を満たすことで「楽しい」に至ることができるので、これは直感に反していない感じがある。
このことから「観光」「食事」が楽しくなかった理由は、「観光」「食事」は私にとって「自己満足型」ではなかったこと、また、「感情共有型」を満たすこともできなかったからだと説明できる。「感情共有型」を満たせなかったのは「一人行動旅」だったからだと言える。「一人行動旅」と書いたのは、「一人旅」であってもツアーなどで行動を共にし交流が発生する他者が存在すれば「感情共有型」を満たすことが可能で、それと区別する必要があるからだ。
端末の電池がなくなってきたので締めるとするが、要するに寂しかったのだ。観光を通じて見聞きして感じたことを話したいし、美味しい食事を食べたら「美味しいね」と言葉を交わしたい。それは一人では叶わないのだ。私は二度とこのような一人行動旅はしないだろう。あるとしても、日帰りか1泊が限界だ。
図書館に読み終わった本を6冊ほど寄付してきた。
少ないかもしれない。寄贈しようと思い始めるまでは紙の本をPDFデータにしてしまっていて手元に残らないようにしていたから仕方ない。
でもこれからは紙の本のまま読んで、紙袋1枚分くらいたまったら寄贈していこうと思う。こまめに寄贈するのには理由がある。
個人としての経済合理性の観点では売却する方が合理的だろう。しかし、私は、数千円の本の代金を回収する私個人の経済合理性よりも、公共性を大事にしたい。
ありがたいことに、今は社会人として本一冊買うのも苦労しなくなった。しかし、今日に至るまで小学校→中学校→高校→大学と、学生の時は少なくない時間を図書館で過ごしてきた。自習エリアで学校の勉強をしたり、多種多様な本から知的好奇心を刺激されたり見聞を広げたりした。多くの学びの機会を無償で提供してくれた図書館と地元には感謝しかない。
しかし、大人になって今住んでいる地域の図書館で自分の専門分野(プログラミング)の棚に並んでいる本を眺めると、本の絶対数があまりに少なかったり、出版日が新しい本が全然ないことに気づいた。
新しい本がないと最新の体系的な情報を学べない。その分野の冊数が少ないと興味を持たないかもしれない。何より、未来の日本のために多くの知恵者を輩出することが非常に重要なのに、その源泉たる本が少ないのはもってのほかだと思った。とはいえ、自分に何ができるか...
「自分が日々書店から購入している最新の書籍を図書館に寄贈すればいいじゃないか」と思い至った。
でも最初は、金持ちでもなんでもない自分が寄贈なんかやっても微々たるもので意味あるのかと自信がなかったが、なんであれまずは「行動」こそが大事だろうと。
一人の庶民の小さな行動だけど、未来の日本が少しでもより良い国になったら良いなぁと思って。
何より公共のために行動すると清々しい。
2月が終わったから振り返る。
1ヶ月前の記事で英語頑張る宣言をしたが、
2月末のTOEIC IPテストで730点だった!ということで、会社からの最低要求ラインをクリアして一安心。良かった。
今後は「PROGOS B1」目指して会話力の向上と「TOEIC 800点」を目指して引き続き勉強を続けていく。
2月は仕事で十分なアウトプットを出せず苦しい日々を過ごし、最後の1週間で復調できた。
そもそもTOEIC700点を3月までに取らないと会社から見捨てられてしまうので、2月で決着を付けるつもりで英語の勉強に比重を傾けるつもりでいて、ある程度成果が下がるのは織り込み済みだった。
ただ、その見込みよりもはるかに成果が芳しくなかった。
2月はジュニアメンバーがリードするリアーキテクチャプロジェクトをサポート役になっていた。
やや想定とは違う設計方針で実装フェーズが始まってしまって、思うところがあるもののメンバーになかなか伝わらずで、腑に落ちないまま実装の手も進まず悩んでいて、周りから見て成果が出ていないように映ってしまっていた。
しばらくして他のシニアメンバーと話して、任せたんだったら多少問題があっても任せ切った方がいい。というアドバイスをもらって、まぁ確かになぁと。
自分で考えて作ったもので失敗しないと成長しないし、許容できる失敗で収まるなら失敗してもらった方が学びになる。
てことで、あまり口を出そうとするのをやめて、とりあえずプロジェクトの進行に支障が出ないよう前に進めることに意識を切り替えた。
日本を沈みゆく船だとして一緒に沈むまいと海外に逃げていく人たちを見ているととても悲しい気持ちになる。
本当にそれで自分が生まれた国がなくなってもなんとも思わないんですか?
今の日本は多くの問題を抱えているし、子育てしたり働いている世代が割を食ってるのはそう。
利権を手放さない老人が長生きしているから変わらない絶望感があるのもわかる。
中には日本に期待して、日本を変えようと挑戦して、でも阻まれて、それで見限ってしまった人もいるかもしれない。
自分は彼らよりも挑戦できていないと思うから、自由にやれる都合の良い国に行く気持ちにとやかくいう資格は自分にはない。
でも、悪いところはあるけど、日本は世界を見渡しても最も古い歴史を持つ国で、世界に誇れる歴史や固有の文化、職人の技術、高い市民意識など尊敬される側面を持つ国であることもまた事実。
だから、今日に至るまでの建国2700年の歴史の中で幾重の外からの侵略や戦争があったにも関わらず国を守って発展させてここまで繋いでくださったご先祖様方の苦労や覚悟を思うと、僕はこの国を捨てる気にはなれない。
約80年前の人たちが戦争で全てを失った状態から今の豊かな日本を作ったように、今こそ僕らの世代が100年後のこの国の未来を生きる人たちのために覚悟を持ってこの国の問題に取り組むべき時なんじゃないかな。
「海外移住したぜ、まだ日本で消耗してるの?」は何もカッコ良くないよ。祖国のために頑張っている人の方が何倍もカッコイイ。
どこで何をするか、どんな選択をするかは個人の自由だし、いろんなやり方があってイイと思う。異国の地に住んで頑張っている人を否定しているわけではない。自分も未来永劫海外に住むことはないと言っているわけでもない。
でも外野から野次るのはどうなんだろう。まるで日本に残っている人がおかしいかのように見下し嘲笑するのは自分を正当化したいだけのように見える。
自分のルーツがある地を思い、そこに住む人々を大切にし、自国の繁栄のために頑張ることがカッコイイ社会になって欲しいな。
恒例になった1年の振り返り。実は年末年始が意外と立て込んでしまって振り返りを書き始めたのが1月13日になってしまった。完全に2024年が始まったけど、2023年の振り返りを書かずしては自分の気持ち的に2024年が始まらないので急いで執筆中。さて、言い訳はこの辺までにして本題に入る。この年は岐阜で初めて丸々1年を過ごした年であり、全力で新しい環境を満喫した1年だった。
2022年9月に岐阜に移住してから2023年で岐阜の春夏秋冬を一周した。その中で岐阜とその周辺の四季折々の豊かな食・文化・自然をたくさん感じたので、それらを中心に振り返る。
まずは、岐阜の有名な「食」を写真で振り返る。
岐阜のグルメといえば間違いなく「飛騨牛」。私たちが特別な日に行くお高いけどお気に入りのお店は、玉宮にある「THE雪月花」。2023年は私たちの結婚2周年記念日で行った。文句なし。
妻の実家には「めいらく苑」の本店によく連れて行ってもらっている。ここも美味い。
あとは、「馬喰一代」も有名。大学の同期が岐阜に遊びに来てくれた時に、本店に食べに行ったが、ここも結構高い。
味噌煮込みうどんは名古屋の名物だった気がするけど、岐阜にも行列のできる「田毎」がある。私たちは、岐阜で味噌煮込みうどんを食べる時は、いつもここに行っている。田毎は味噌煮込みうどん以外のメニューも豊富で美味い。
ベトコンラーメンは岐阜発祥の有名なB級グルメの一つでニンニクがたくさん入ってるラーメン。「香楽」が有名で、岐阜市出身の伊藤英明が昔から食べていて、帰省した時は必ず行ってるそう。妻が岐阜に来たら絶対に食べて欲しいと、東京に住んでいた時から散々おすすめされていた。いざ食べてみるとニンニクがゴロゴロたくさん入っててめちゃくちゃ美味しい!二郎系ラーメンみたいにすりおろしたニンニクとコッテリスープではない。ニンニクの欠片がそのまま入っていて、スープは辛め。翌日は誰とも会えないくらい体全体からニンニク臭が漂うくらい。ただ、病みつきになってしまうのだ。大抵は、翌日が休みの時にしか行かない。味噌ベトが人気。
また、ベトコンは愛知県の一宮発祥だという説もあり、そこでは新京のベトコンラーメンと呼ばれる。会社に出社した時は、名駅にある新京のベトコンラーメンをランチで食べていた。こっちもこっちで美味い。
冷やしたぬきそばも岐阜市の名物グルメ。創業1928年の老舗である「更科」がみんなに愛されているし、一番美味しいと思う。暖かい時期になると、更科の冷やしたぬきそばが食べたくなる体になってしまった。何度も食べたくなる唯一無二の味。
とまぁ、本当は他にも色々と美味しいグルメを食べたけど、これ以上紹介すると長くなりすぎるので割愛。1年で全てを振り返るのは無理があった。
ご当地名物があると他県の人に勧めやすくて良い。愛着が湧いてくる。あと、週末になると農協がやっている野菜市場にいって野菜をたんまり買い込む生活をしていると、「地方が生産し、都市が消費する。」という構造になっていることを実感する。大都市には、都市の人口の食を支えるために全国から産品を集められている。僕は東京に住んでいた時は正直どこの誰が作った野菜かを気にしたことがなかった。明らかに生産者とは多くの点で距離があった。一方で、こっちで生活していると生産者を近くに感じるので、私たちの食を支えてくれている農家や食べ物に感謝の気持ちが鮮明に湧いてくる。そして、心が豊かになっているのを感じる。
次に文化的な思い出を振り返ります。
関ヶ原合戦場跡は思ったよりも広大で、敵武将の陣までは車で10分以上かかるかなぁ。散策してみると「ここで沢山の人と人が殺し合ったのかぁ」と今まで感じたことのない悲しい気持ちになった。そして、平和を強く願うようになった。
長良川全国花火大会は太平洋戦争の敗戦後の1946年から岐阜の市民を勇気づけるために始まったそう。愛国心が強い自分としてはグッとくるものがある。ただ、それまで毎年開催していた花火大会がコロナ禍で3年連続で中止してしまったそう。その花火大会が2023年でようやく復活できたということなのだ。岐阜市民にとってはとても大切な行事なので、来年も再来年もずっと続けて欲しい。

岐阜の産品で有名な関市の刃物。包丁や爪切りなんかも有名。せっかくなら家で使う包丁にも愛着を持ちたかったので、妻と岐阜関刃物会館に行って関孫六のダマスカス包丁を買った。正確には、誕生日プレゼントという名目で妻に買ってもらった。見た目がカッコよくて、かなり切れ味が良くて、大事に使ってる。研ぎながら長く大切に使いたい一品。
冬になって同僚の家にこたつがあるという話を聞いてから、無性にリビングにこたつを置きたくなった。というのも、2023年は観光地や飲食店、義祖母の家などで日本の伝統的な室内に触れることが多くて、実家や祖父母の家での生活をどこか懐かしいなと思いを馳せることが多かった。そんなこともあって、我が家では半纏や緑茶と急須を買ってみたりして、どこかに消えてしまった懐かしい日本の生活の比重を少しずつ増やしている。そんな背景があって、「こたつ」というワードには脊髄反射しないわけがなかった。妻の実家にある使ってないこたつを譲ってもらい、部品を分解して掃除して使えるようにして、今我が家のリビングで冬の生活に暖をくれている。

冬場は専らこたつが仕事場になっている。椅子に座っていたとしても、椅子の上であぐらをかく方が落ち着く気持ちはきっと共感してもらえると思うが、日本人は古くから畳に直接座る生活様式をとってきたので、西洋文化の椅子が落ち着かないのだ。西洋人は椅子文化なので、日本人のように股関節が開かず、あぐらをかくと膝が開いてしまうらしい。敗戦以降、西洋文化を入れたことで工業化し経済発展したが、実際に人種差によってDNA的に合う/合わないがあるのだ。私は日本人らしく生きる。
2024年の初詣で金神社に参拝した時に御朱印帳が売られていたので、これを機に御朱印集めを妻とやることにした。神道について気になって色々調べているうちに神社に興味を持って、伊勢神宮に行った時に御朱印を求めていた人が多かったので少し気になっていた。その時はスタンプラリーという程度にしか思ってなかったけど、秋に美濃市にある大矢田神社に紅葉を見に行った時に、御朱印を買うか迷っていたら神社の方が御朱印について色々と丁寧に教えてくれた。その中の「御朱印は参拝した神社の神様とのご縁が結ばれた証拠で、それを貼った御朱印帳を自分が死ぬ時に棺桶に一緒に入れて火葬してもらうことで、あの世に行く時に神様が護ってくれる」という話に浪漫を感じたのがきっかけ。宗教的なものを信じるわけではないが、信じるふりをして享受するのは大人の高度な嗜みだと思う。日本の歴史を知るきっかけになるし、人生の思い出になったらいいなぁと思う。

神社に興味を持つきっかけになったのが、春日大社の神職の方が書いた本(タイトルを忘れた)だったので、最初は春日大社に行きたいと思っていた。ちょうどマリオットボンボイの1泊無料特典があったので奈良に行くことに。なるべく人気がない時間に春日大社に行きたくて、少し寝坊したが9時頃に参拝できた。ちらほら観光客はいたが、ほぼいないに等しいくらいだった。やや雨模様だったのもあって、葉っぱが緑深く、霧がかっていて、少し神域を感じた気さえした。
自然を全身で感じると心が満たされる、を体感し感動した。都市は便利さと引き換えに心を消耗していたのだ。私が見てきた美しい自然の一部を紹介する。これを見た人が少しでも心が癒されてくれたら嬉しい。






岐阜にエンジニアがいるのだろうかと少し思ってたけど、たまたま岐阜のエンジニアコミュニティであるnagara.rbの主催者の方にTwitterで声をかけてもらい、岐阜在住のエンジニアの方々のコミュニティに入ることができたのはかなり幸運だった。そして思った以上に岐阜在住のエンジニアがいることにびっくりした。まだ岐阜に友達がいないので、今後も交流を深めていきたい。
全て書くことが困難なほど多くの思い出を作れた年だった。そして、価値観が変わった年でもあった。2023年は全く新しい土地での生活基盤を作る1年ということもあって、初めからこの一年は私生活を最優先にしようと思っていたので、振り返ると100点の1年だったと自信を持って言い切れる。
さて、2024年はどんな年にしようか。
2023年になりました!例年通り2022年を振り返り、2023年の抱負を書きます。
続きを読む2021年お疲れ様でした!僕の2021年を振り返って、2022年の抱負を書きます。
続きを読む1年が終わるので、今年を棚卸しをします。
続きを読むこの記事は、僕が仕事をし始めて5年が経った節目に、「僕が仕事をするときに大切にしている価値観の部分」について、今までを振り返ってこれからの自分は何を目指していくのかの自分のための記事になってます。
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